玄関、障子、床の間、年中行事。見慣れた住まいの中にある日本文化を、古典と研究を手がかりに読み直す連載です。伝統をただ礼賛するのではなく、「なぜそうなっているのか」と「それは今も正しいのか」を、一級建築士の目で考えます。
結論:縁側は、内と外をはっきり分けないための場所でした。戦後に姿を消したのは、価値がなくなったからではなく、面積と暮らし方が変わったからです。
- 縁は、建物の床が板敷きになってから生まれた。外周の縁の最古の例は奈良時代の法隆寺東院伝法堂
- 江戸時代、座敷の外に縁側を設け、障子を並べ、雨戸を引く形が全国に広まった
- 戦後は住宅の面積に余裕がなくなり、縁側のない家が増えた
- 今の家で生かすなら、深い軒の下に、内でも外でもない居場所を一つつくる
祖父母の家の縁側に腰かけて、庭を眺めながらスイカを食べた。そんな記憶を持つ人は、今では少なくなったかもしれません。
縁側は、部屋の中でもなく、庭でもない場所です。靴を脱いで上がっているのに、外の風や光がそのまま届く。用もなく座っていられて、近所の人が靴のまま腰かけて話していくこともできる。
この「どちらでもない」場所は、どのようにして生まれ、なぜ今の家から消えていったのでしょうか。この記事では縁側の歴史をたどり、最後に一級建築士として、今の家に縁側の役割を取り戻す方法を考えます。
縁側とは、どんな場所か
建築史家の平井聖は『日本大百科全書』で、縁側を、建物の外まわりや室内の一部に設けた細長い板敷き(または畳敷き)の空間と説明しています。部屋の補助や廊下として使われ、庭から家の中へ上がる出入口にもなりました。雨戸やガラス戸の外に出した縁は「濡れ縁」と呼ばれます。
そして平井は、縁側が室内と屋外の中間に位置し、空間を厳密に仕切らない曖昧さをつくり出している、と述べています。縁側の本質は、この「中間」にあります。
縁側の歴史|板の床から生まれた
縁は、建物の床が板敷きになってから生まれたとされます。建物の外まわりの縁としては、奈良時代の法隆寺東院伝法堂が最も古い例とされています。
室内に縁が設けられるようになるのは中世からで、寝殿造や書院造の住まいに見られる広い縁がその始まりとされます。江戸時代になると、座敷の外に縁側を設け、その内側に障子を立て並べる形が全国に広まり、縁側の外に雨戸を引く形も一般的になりました。
明治以降は、母屋に屋根を一段下げて差し掛け、天井を張らずに屋根裏を見せる縁側がよく見られるようになります。そして平井は、第二次世界大戦後、住宅の面積に余裕がなくなったことで、縁側のない家が増えたと書いています。
縁側と軒は、セットだった
建築士として強調したいのは、縁側が、深い軒とセットで成り立っていたことです。縁側は屋外に面しているので、軒が浅ければ雨が吹き込み、夏の日差しが照りつけます。深い軒が雨と日差しを受け止めていたから、縁側は「外なのに居られる場所」になれました。
もう一つ、今の言葉でいえば、縁側は家の断熱の「外側」にありました。障子や雨戸を閉めれば縁側は家の外になり、開ければ部屋の続きになる。季節や時間によって、内になったり外になったりする場所だったのです。
そのまま信じなくていい|縁側の読み方
「のどかな交流の場」は、思い出の中の姿でもある
縁側で近所の人と話す、という光景は、縁側を語るときによく持ち出されます。けれど、縁側があったからそうした付き合いが生まれたのか、そうした付き合いのある地域だったから縁側が使われたのかは、簡単には言えません。縁側の価値を、懐かしさだけで語らないよう注意したいところです。
冬は寒く、手間もかかった
断熱の外にあった縁側は、冬は寒く、毎日の雨戸の開け閉めにも手間がかかりました。縁側が減ったのは面積の問題だけでなく、暖かく手間の少ない家を求めた結果でもあったと考えられます。
中間の場所は、日本だけのものではない
平井は縁側の曖昧さを日本建築の特色として挙げていますが、屋根の下で内と外をつなぐ場所は、ほかの地域の住まいにも見られます。欧米のポーチやベランダもその一つです。縁側を「日本だけの知恵」と言い切るより、どの地域にもある中間の場所の、日本での形と考える方が正確です。
建築士として読む|今の家に「縁側の役割」をつくる
今の家に、昔のままの縁側をつくる必要はありません。縁側の役割を分けて考えると、取り入れられる形が見えてきます。
まず、深い軒をつくる
縁側の役割を取り戻す第一歩は、軒や庇を深くすることです。軒の下には、雨の日でも窓を開けられ、夏の日差しを遮り、外に出ても濡れない場所が生まれます。軒の働きはこちらの記事でも書いています。
室内の床とそろえた、軒下のデッキ
リビングの床と同じ高さで、軒の下にデッキやテラスを続けると、窓を開け放ったときに部屋が外へ広がります。腰かけられる高さの段差を一段つくれば、靴のまま座ることもでき、昔の濡れ縁に近い使い方ができます。
内か外か、断熱のどちら側に置くかを決める
窓の内側に、縁側のような細長い板の間をつくる方法もあります。この場合、そこは断熱の内側になるので、冬も寒くなりません。逆に、断熱の外にある濡れ縁やデッキは、季節を楽しむ場所として割り切る。どちらにするかを最初に決めておくことが、縁側を「寒いだけの場所」にしないためのポイントです。
「縁側がほしい」という要望を聞いたとき、私はまず「そこで何をしたいですか」と聞くようにしています。庭を眺めたいのか、子どもを遊ばせたいのか、洗濯物を干したいのか。答えによって、軒の深さも、床の高さも、断熱の位置も変わります。庭があるのに使わない家になってしまう理由はこちらの記事で書いています。
資料で確かめられること・言い切れないこと
- 縁は、建物の床が板敷きになってから生まれた
- 外まわりの縁の最古の例は、奈良時代の法隆寺東院伝法堂とされる
- 江戸時代、座敷の外に縁側を設け障子を並べる形が全国に広まり、雨戸も一般化した
- 戦後、住宅の面積に余裕がなくなり、縁側のない家が増えた
- 縁側があったから、近所づきあいが生まれたということ
- 縁側が減ったのは、面積の問題だけだということ
- 内と外の中間の場所が、日本の家だけの特色だということ
暮らしの中で試してみたい3つのこと
- □ 家の中で、外の空気を感じながら座っていられる場所があるか探してみる
- □ 雨の日に、濡れずに窓を開けておける窓がいくつあるか数えてみる
- □ もし縁側があったら、そこで何をしたいかを家族で話してみる
縁側と軒下のよくある質問(FAQ)
Q. 縁側と濡れ縁は、何が違うのですか?
縁側は、建物の外まわりや室内の一部に設けた細長い板敷きの空間の総称です。そのうち、雨戸やガラス戸の外側にあり、雨に濡れる位置にあるものを濡れ縁と呼びます。
Q. 縁側はいつごろから一般的になったのですか?
座敷の外に縁側を設け、障子を並べる形が全国に広まったのは江戸時代とされます。外まわりの縁そのものは、奈良時代の寺院建築にすでに見られます。
Q. なぜ今の家には縁側が少ないのですか?
戦後、住宅の面積に余裕がなくなったことが大きな理由とされます。加えて、冬の寒さや雨戸の開け閉めの手間を避け、暖かく手間の少ない家が求められたことも影響していると考えられます。
Q. 今の家で縁側をつくるなら、どんな形がよいですか?
深い軒の下に、室内の床と高さをそろえたデッキやテラスをつくるのが取り入れやすい方法です。冬も使いたい場合は、窓の内側に板の間をつくり、断熱の内側に置く方法もあります。
Q. 縁側は寒くありませんか?
断熱の外にある縁側や濡れ縁は、冬は寒い場所です。季節を楽しむ場所として割り切るか、窓の内側に設けて断熱の内側にするかを、最初に決めておくことをおすすめします。
まとめ|内でも外でもない場所は、つくり直せる
- 縁側は、内と外をはっきり分けないための場所だった
- 板敷きの床とともに生まれ、江戸時代に全国に広まった
- 深い軒とセットで、断熱の外にあり、季節によって内にも外にもなった
- 戦後は面積の不足や寒さ、手間から減ったが、軒とデッキで役割は取り戻せる
縁側が消えたのは、そこが要らなくなったからではなく、家の条件が変わったからでした。条件が変われば、形を変えてつくり直すこともできます。あなたの家には、内でも外でもない場所がありますか。
参考文献
- 平井聖「縁側」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、鈴木充「縁側」『世界大百科事典』平凡社。縁側の定義、種類、歴史、戦後の減少に用いました。コトバンクで読む
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連載第7話。縁側の内側に立てられた障子と、部屋を仕切る襖の歴史をたどります。

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