玄関、障子、床の間、年中行事。見慣れた住まいの中にある日本文化を、古典と研究を手がかりに読み直す連載です。伝統をただ礼賛するのではなく、「なぜそうなっているのか」と「それは今も正しいのか」を、一級建築士の目で考えます。
結論:「わび・さび」は「古いものは美しい」という意味ではありません。足りないもの、欠けたものの中に、別の豊かさを見る見方です。
- 「わび」と「さび」は、もとは別の言葉。ひとまとめに語られるのは後の時代のこと
- 『徒然草』には、表紙がほつれ、螺鈿の貝が落ちた巻物こそよい、という言葉が書き留められている
- 利休の「わび茶」は貧しさの礼賛ではなく、粗末な道具と名品の取り合わせだった
- 家に当てはめるなら、問うべきは「古びるかどうか」より「どう古びるか」
引っ越したばかりの家の床は、傷ひとつなく光っています。それが10年たつと、ある家では飴色に落ち着いて「いい味が出てきた」と言われ、別の家では表面がはがれて「古くなった」と言われる。
同じ10年、同じように時間がたったのに、片方は美しく、片方はみすぼらしく見える。この違いは、どこから来るのでしょうか。
古びたものに美しさを見る感覚は、よく「わび・さび」という言葉で説明されます。けれど、この言葉が何を指しているのかを説明しようとすると、意外と難しい。この記事では、古典と茶の湯の歴史をたどって「わび・さび」をほどき直し、最後に一級建築士として、家の素材の「古び方」を考えます。
「わび」と「さび」は、もとは別の言葉
まず確かめておきたいのは、「わび」と「さび」が、もともと別の言葉だということです。
「わび」は、動詞「わぶ」から来た言葉です。茶道史研究者の熊倉功夫は、『万葉集』の時代には、思いがかなわない嘆きのような、つらい状態を表す言葉だったと解説しています。それが中世になると、足りないこと、不十分であることの中に、かえって心の満ち足りた美しさを見いだす美意識へと変わっていきました。
一方の「さび」は、静けさの中から、かすかで奥深いものが立ちのぼってくるような情趣を指す言葉です。『日本大百科全書』で「さび」の項を書いた堀越善太郎は、単なる寂しさや古さではないと解説しています。平安末期の歌人・藤原俊成が歌の評に用い、江戸時代の松尾芭蕉が俳諧の大切な理念として磨いていきました。
つまり、「わび」は主に茶の湯の、「さび」は主に和歌や俳諧の言葉として育ってきました。今のように「わびさび」とひとまとめにして、日本の美意識の代名詞のように語るのは、ずっと後の時代のことです。英語圏では1994年に、レナード・コーレンがデザイナーや芸術家に向けて「Wabi-Sabi」を紹介する本を出し、この言葉を広めるきっかけのひとつになりました。
欠けたもの、仕上がりきらないもの|『徒然草』第82段
では、古びたもの、欠けたものを美しいと見る感覚は、いつごろから言葉になっていたのでしょうか。第2話で読んだ『徒然草』に、その手がかりがあります。第82段で兼好は、歌人の頓阿の言葉を書き留めています。
羅は上下はづれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそ、いみじけれ
兼好法師『徒然草』第八十二段(頓阿の言葉)
薄絹の表紙は上下の端がほつれ、螺鈿の軸は貝がはがれ落ちてからこそ、すばらしい。ある人が「薄絹の表紙はすぐ傷むのが残念だ」と言ったのに対して、頓阿はこう答えたといいます。
同じ段には、ほかにも二人の言葉が並びます。僧の弘融は、物を何でも一揃いに整えようとするのはつまらない者のすることで、不揃いの方がよい、と言いました。そして「ある人」は、何事もすべて整いきっているのはよくない、やり残した部分があるからこそ面白く、先へ延びていく、と語り、内裏(宮中の建物)を造るときでさえ、必ず作り終えない部分を残すものだ、と付け加えています。
第137段の有名な書き出しも、同じ方向を向いています。
花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。
兼好法師『徒然草』第百三十七段
桜は満開の時だけを、月は曇りなく照る時だけを見るものだろうか。咲きそうな梢や、花の散った庭にこそ見どころは多い、と兼好は続けます。完成した瞬間だけでなく、その前と後にも美しさがある。これが、のちに「わび」や「さび」と呼ばれていく感覚の、ひとつの源流だと考えられます。
ただし、第2話と同じく注意したいのは、第82段の言葉の多くが、兼好自身ではなく、周りの人々の言葉として書かれていることです。兼好は、こうした見方を世の中の一つの考え方として面白がり、書き留めたのだと読むこともできます。
茶の湯の「わび」は、貧しさの礼賛ではない
「わび」が美の言葉として大きく育ったのは、室町時代の終わりから安土桃山時代にかけての茶の湯の世界です。
珠光|唐物から、素朴な国産の道具へ
茶の湯の祖とされる村田珠光(1423〜1502年)は、中国から渡ってきた高価な「唐物」の道具を尊ぶ風潮の中で、備前焼や信楽焼のような国産の素朴な器にも目を向けました。弟子に宛てたとされる「心の文」では、和物と唐物の境目をまぎらわすことの大切さを説いています。
能役者の金春禅鳳の言葉を記録した『禅鳳雑談』には、雲間のない月は嫌だ、という珠光の言葉が残っています。満月より、雲に少し隠れた月の方がよい。『徒然草』第137段と同じ感覚です。
紹鴎と利休|「おごらぬさま」と、取り合わせの美
珠光の流れを受けた武野紹鴎は、「わび」を「正直におごらぬさま」と言い表しました。そして千利休は、茶室を小さく簡素にし、楽茶碗のような飾り気のない道具を生み出していきます。
ここで大事な指摘があります。熊倉功夫は『日本大百科全書』の「わび」の項で、利休のわび茶は単なる貧しさの表現ではなく、粗末な道具と豪華な名物とを取り合わせることで、名物の奥にある美しさを引き出すものだったと説明しています。
「わび」は、足りないこと、貧しいことそのものではありません。豊かさを知ったうえで、あえて足りなさを選び、その対比の中で美しさを際立たせる。かなり意図的で、洗練された美意識だったのです。
天心『茶の本』|「不完全なもの」を崇拝する
この美意識を、20世紀のはじめに英語で世界へ紹介したのが、岡倉天心(覚三)の『茶の本』(原著は1906年刊行)です。天心は冒頭近くで、こう書いています。
茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。
岡倉覚三『茶の本』村岡博訳
天心は利休についての逸話も紹介しています。息子が露地をきれいに掃き清め、水を打ったのを見て、利休はまだ足りないと言った。そして自ら木を揺すり、庭に紅葉を散らした。清潔さだけではなく、自然の気配があってこそ庭は完成する、という話です。
そのまま信じなくていい|「わび・さび」の読み方
ここまで読むと、「日本人は昔から古いもの、不完全なものを愛してきた」とまとめたくなります。けれど、そう言い切るにはいくつか注意が必要です。
茶の湯は、限られた人々の文化だった
わび茶を育てたのは、町衆や武家など、名物の道具を手にできる人々でした。熊倉の指摘どおり、「わび」は名品との対比の中で成り立つ美意識です。暮らしに余裕のなかった多くの人にとって、足りないことは美しさではなく、ただの不便だったはずです。
「さび」は、古びた味わいのことではない
「さび」を「古くなって味が出ること」と説明する文章はよく見かけます。けれど、さきほど見たように、もとの「さび」は静けさの中の奥深さを指す言葉で、物が古びること自体を意味してはいません。経年変化の美しさを「さび」と呼ぶのは、後の時代の、かなり自由な読み方です。
新しさを尊ぶ文化も、同じようにある
日本には、伊勢神宮のように、一定の年ごとに社殿を建て替えて新しさを保つ伝統もあります。古いものを愛する感覚と、清らかな新しさを尊ぶ感覚は、どちらも日本の文化の中にあります。片方だけを取り出して「日本の美意識」と呼ぶのは、やはり大づかみすぎます。
建築士として読む|「どう古びるか」で素材を選ぶ
それでも、「わび・さび」をめぐる古典の言葉は、家の素材を選ぶときにとても役に立つと考えています。ポイントは、古びることを避けるのではなく、どう古びるかを選ぶという視点です。
表面と中身が同じ素材は、美しく古びやすい
無垢の木、漆喰、石、銅。こうした素材は、表面がすり減っても、その下から同じ素材が出てきます。傷も色の変化も、素材そのものの変化として目に映るので、「味」として受け止めやすい。
反対に、木目を印刷したシートや、表面だけを塗装した材料は、表面がはがれると、まったく別の下地が顔を出します。頓阿が言う「貝の落ちた螺鈿」は、貝が落ちても漆と木の軸が美しかったから成り立った話です。下から何が出てくるかで、古び方はまったく変わります。
直しながら使えるか
畳は表を替え、障子は紙を張り替え、無垢の床は傷を削ってオイルを塗り直す。日本の住まいの素材の多くは、全部を取り替えずに、一部を直しながら使い続けられるようにできていました。時間を味方にできるかどうかは、素材そのものより、手を入れられるかどうかで決まる面があります。
性能に関わる部分は、古びさせない
ただし、経年変化を楽しんでよいのは、目に見える仕上げや家具の話です。屋根や外壁の防水、構造、断熱といった性能に関わる部分の劣化は、味ではなく傷みです。雨漏りや腐朽は、どれだけ時間がたっても美しくはなりません。古びてよい場所と、古びてはいけない場所を分けて考えることが、家の「わび・さび」の前提になります。
最初から、全部を揃えなくていい
『徒然草』の「ある人」は、内裏を造るときでさえ、作り終えない部分を残すと言いました。家も、最初から家具や飾りを一揃いにしなくてかまいません。空いた壁や棚を残しておけば、暮らしの中で少しずつ選んだものが、そこを埋めていきます。この「残しておく場所」については、次の第4話で詳しく考えます。
打ち合わせで「メンテナンスフリーの素材がいい」と言われることはよくあります。気持ちはよくわかりますが、手がかからない素材は、時間がたっても良くならないことが多いのも事実です。どこは手をかけずに済ませ、どこは手をかけて育てるか。その線引きを先に決めておくと、素材選びで迷いにくくなります。床材の違いはフローリングの選び方|無垢と複合の違いでまとめています。
原典と研究で確かめられること・言い切れないこと
- 「わび」と「さび」は、もとは別の言葉で、別の分野で育ってきた
- 『徒然草』第82段には、ほつれた表紙や貝の落ちた螺鈿の軸こそよい、という頓阿の言葉が書き留められている
- 珠光は、雲間のない月は嫌だと語ったと伝えられる
- 利休のわび茶は、粗末な道具と名物の取り合わせによる美意識だったと解説されている
- 天心は『茶の本』で、茶道の要義を「不完全なもの」の崇拝と書いた
- 昔の日本人が一般に、古いものや不完全なものを好んでいたということ(茶の湯は限られた人々の文化)
- 「さび」がもともと経年変化の美しさを指していたということ
- 不完全なものに美を見る感覚が、日本だけのものだということ
暮らしの中で試してみたい3つのこと
- □ 家の中で「古くなって良くなったもの」と「古くなって悪くなったもの」を、3つずつ挙げてみる
- □ 良くなったものと悪くなったものは、素材の何が違うのかを考えてみる
- □ 次に買う家具や器を、「10年後にどんな姿になっているか」で選んでみる
「わび・さび」と住まいのよくある質問(FAQ)
Q. 「わび・さび」とは、どういう意味ですか?
足りないもの、欠けたもの、静かなものの中に、別の豊かさや奥深さを見いだす美意識を指して使われる言葉です。ただし「わび」と「さび」はもとは別の言葉で、今のようにひとまとめに語られるのは後の時代のことです。
Q. 「わび」と「さび」は、どう違うのですか?
「わび」は、不足や不十分さの中に心の満ち足りた美しさを見る感覚で、主に茶の湯の中で育ちました。「さび」は、静けさの中から奥深いものが現れる情趣を指し、主に和歌や俳諧の言葉として育ちました。
Q. 不完全なものを美しいと思うのは、日本人だけの感覚ですか?
そうとは言い切れません。古びたものや未完成なものに美を見る感覚は、ほかの文化にもあります。ただ日本では、茶の湯や和歌、俳諧の中で、その感覚が言葉として磨かれ、受け継がれてきました。
Q. 経年変化を楽しめる素材には、どんなものがありますか?
無垢の木、漆喰、石、銅など、表面がすり減っても下から同じ素材が出てくるものは、美しく古びやすい素材です。あわせて、部分的に直しながら使えるかどうかも確かめておくと安心です。
Q. 古くなるのを楽しむなら、手入れはしなくていいのですか?
いいえ。屋根や外壁の防水、構造など、性能に関わる部分の劣化は放っておいてはいけません。経年変化を楽しめるのは、目に見える仕上げや家具の範囲です。
まとめ|古びるかどうかではなく、どう古びるか
- 「わび」と「さび」は、もとは別の言葉。ひとまとめにして語るのは後の時代のこと
- 『徒然草』には、ほつれた表紙や、作り終えない内裏をよしとする言葉が書き留められている
- 利休のわび茶は、貧しさではなく、粗末なものと名品の取り合わせの美だった
- 家で生かすなら、表面と中身が同じ素材を選び、直しながら使い、性能の部分は古びさせない
新品の美しさは、引き渡しの日がいちばん高く、あとは下がっていくだけかもしれません。けれど、どう古びるかを選んだ家には、時間とともに増えていく美しさがあります。あなたの家の中で、10年後にいちばん良くなっていそうなものは何でしょうか。
参考文献
- 兼好法師『徒然草』第八十二段・第百三十七段。原文は「徒然草」(吾妻利秋訳)掲載の本文によりました。
- 熊倉功夫「わび」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館。わびの語義の変化と、利休のわび茶が名物との取り合わせによる美意識だったという解説に用いました。コトバンクで読む
- 堀越善太郎「さび」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館。さびの意味と、俊成・芭蕉による展開に用いました。コトバンクで読む
- 「村田珠光」『日本大百科全書』『世界大百科事典』ほか。珠光の生没年、「心の文」、『禅鳳雑談』の言葉に用いました。コトバンクで読む
- 岡倉覚三『茶の本』村岡博訳(岩波文庫、岩波書店、1929年初版)。原著 The Book of Tea は1906年刊行。本文の引用は青空文庫版によりました。
- Leonard Koren, Wabi-Sabi for Artists, Designers, Poets & Philosophers(1994年)。英語圏で「Wabi-Sabi」が広まるきっかけの一つとして言及しました。
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連載第4話。床の間はなぜ空けてあったのか。「余白」の文化史をたどります。

連載第2話。同じ『徒然草』から、「家は夏を基準に造れ」という一節を読み直します。

「どう古びるか」を、床材の選び方から具体的に考える記事です。

値段や名作より、暮らしとの相性で家具を選ぶという話です。



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