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七夕は、なぜ梅雨の最中にあるのか|旧暦と季節、行事を受け止める家

建築
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連載|住まいから読む日本文化 第16話

玄関、障子、床の間、年中行事。見慣れた住まいの中にある日本文化を、古典と研究を手がかりに読み直す連載です。伝統をただ礼賛するのではなく、「なぜそうなっているのか」と「それは今も正しいのか」を、一級建築士の目で考えます。

SHEET — 七夕と旧暦S = 1:第16話 季節をしつらえる / kobayan

結論:七夕が梅雨の最中にあるのは、明治の改暦で、旧暦の日付をそのまま新暦に移したからです。本来の七夕は、梅雨の明けた夏の終わりの行事でした。

  • 七夕は、中国の牽牛・織女の伝説と乞巧奠、日本の棚機女の信仰が重なってできたとされる
  • 本来は旧暦7月7日。旧暦の7月7日は、今の暦では7月下旬から8月下旬ごろにあたる
  • 七夕の7日は「七日盆」とも呼ばれ、お盆の準備の始まりでもあった
  • 明治5年の改暦で太陽暦になり、多くの行事が日付だけ移って、季節とずれた。東北などでは今も月遅れの8月7日に行う

7月7日の夜、空を見上げても、雲に覆われて星が見えないことがよくあります。「今年も天の川は見えなかったね」。毎年のように、そんな会話が交わされます。

七夕は、なぜ梅雨の最中にあるのでしょうか。わざわざ星の見えにくい季節に、星の行事を行っているのは不思議です。その理由をたどると、日本の行事と季節の関係が、ある時を境に大きく変わったことが見えてきます。この連載の最終話は、七夕と暦の話です。

七夕は、二つの伝説が重なってできた

七夕の起源は、一つではありません。中国から伝わった牽牛と織女の伝説、そして女性たちが裁縫や技芸の上達を星に祈る「乞巧奠(きっこうでん)」という行事が、日本古来の「棚機女(たなばたつめ)」の信仰と重なってできたとされます。棚機女とは、水辺の機屋にこもって神を迎え、身を清める乙女のことです。

奈良時代には貴族の社会で星を祭る行事が行われ、宮中の儀式になりました。江戸時代には、五節供の一つとして武家の年中行事に定まります(第15話)。そして庶民の間では、笹竹に五色の短冊や糸を飾り、子どもの学問や技芸の上達を願う形が広まりました。寺子屋で習う手習い(習字)の上達を願う風習とも結びついたとされます。

七夕は、お盆の始まりでもあった

七夕には、もう一つの顔があります。民俗学者の萩原龍夫らの解説によれば、7月7日は「七日盆(なぬかぼん)」とも呼ばれ、お盆の準備を始める日でした。墓を掃除し、先祖の霊を迎える準備をし、水を浴びて身を清める日でもあったといいます。

第13話で見たように、お盆は先祖を家に迎える行事です。七夕は、その一週間前に、身を清めて迎えの準備を始める日でもありました。七夕に水にかかわる習わしが多いのも、そのためと考えられます。青森のねぶたも、眠気や悪いものを水に流して払う「眠り流し」の行事とつながるとされています。

明治の改暦で、行事は季節からずれた

では、なぜ七夕は梅雨の最中になったのでしょうか。答えは、明治の改暦にあります。

江戸時代まで、日本は月の満ち欠けをもとにした太陰太陽暦(旧暦)を使っていました。明治政府は、旧暦の明治5年12月3日を、太陽暦の明治6年(1873年)1月1日とすることにし、一か月近くを飛ばして暦を切り替えました。暦の研究者の内田正男は『世界大百科事典』で、旧暦の明治6年が閏月を含む13か月の年だったため、前の年から月給制を始めていた政府が、余分な一か月分の給料の支払いを避けようと急いで切り替えた、という大隈重信の回顧談を紹介しています。そして、この改暦はほとんど説明もないまま行われ、人々は戸惑ったと書いています。

改暦のあと、多くの行事は、旧暦の日付をそのまま新暦の同じ日付に移して行われるようになりました。旧暦の7月7日は、今の暦ではおよそ7月下旬から8月下旬にあたります。梅雨が明け、夜空が澄んでくる季節です。それが新暦の7月7日に移ったことで、七夕は梅雨の最中の行事になってしまいました。

一方で、東北地方などでは、今も月遅れの8月7日に七夕を行う地域があります。仙台の七夕まつりが8月に行われるのも、そのためです。お盆が多くの地域で8月に行われるのも、同じ月遅れの考え方です。

そのまま信じなくていい|七夕の読み方

「七夕は恋の行事」だけではない

七夕は、牽牛と織女の恋の物語として語られることが多いですが、日本の七夕には、技芸の上達を願う行事、身を清める行事、お盆の準備の行事という、いくつもの顔があります。どれか一つだけを「本当の七夕」と言うことはできません。

新暦の行事が「間違い」なわけではない

季節がずれたからといって、新暦の7月7日に七夕を祝うことが間違いというわけではありません。新暦の行事として150年以上続いてきたこと自体が、もう一つの伝統になっています。大切なのは、ずれがあることを知ったうえで、行事を楽しむことだと思います。

建築士として読む|行事を受け止める家

この連載では、玄関、縁側、障子、床の間、座敷、仏壇、そして季節の行事と、住まいの中の日本文化を読み直してきました。最後に、七夕を手がかりに、行事と家の関係を考えます。

空を見上げられる場所

七夕は、空を見上げる行事です。けれど今の家には、星を見上げられる場所が意外と少ないものです。2階の窓辺や、バルコニー、軒の深いデッキ(第6話)、天井の高い吹き抜けの高窓。夜空が見える場所が一つあるだけで、七夕も、お月見も、家の行事として受け止められるようになります。

季節の行事は、季節の光とともに

第2話で読んだ『徒然草』は、季節を基準に家をつくることを説きました。旧暦の行事は、その季節の光や風、空の色と結びついていました。行事の日付は変わっても、家の窓や軒が季節の光をどう受け止めるかを考えることは、行事を季節に結びつけ直すことでもあります。

飾りを出し、しまえる家

正月飾り、ひな人形、五月人形、七夕の笹飾り、お盆の精霊棚。季節の行事は、出して、飾って、しまうことのくり返しです。第4話から書いてきた「空けておく場所」と、その近くのしまう場所。この二つがあることが、行事を受け止める家のいちばんの条件だと、私は考えています。

👓 建築士のメモ

季節の行事について打ち合わせで話すと、「うちはあまり行事をしないので」と言われることがあります。それでも、子どもが生まれたり、親と暮らすようになったりして、行事の機会は家族の変化とともに増えることがあります。最初から全部を用意しなくても、空けておく場所と、しまう場所だけは残しておく。それが、行事を受け止められる家の、いちばん小さな備えだと思います。

資料で確かめられること・言い切れないこと

◎ 確かめられること
  • 七夕は、牽牛・織女の伝説と乞巧奠、日本の棚機女の信仰が重なってできたとされる
  • 7月7日は「七日盆」とも呼ばれ、お盆の準備を始める日でもあった
  • 明治政府は、旧暦明治5年12月3日を太陽暦の明治6年1月1日として暦を切り替えた
  • 旧暦の7月7日は、今の暦ではおよそ7月下旬から8月下旬ごろにあたる
  • 東北地方などでは、今も月遅れの8月7日に七夕を行う地域がある
○ 言い切れないこと
  • 七夕の起源が、ただ一つに決まっているということ
  • 新暦で行う行事が、伝統から外れた「間違い」だということ
  • 改暦のときに、すべての行事が同じように新暦へ移されたということ(地域や行事によって違う)

暮らしの中で試してみたい3つのこと

  • □ 今年の旧暦7月7日が、新暦の何日にあたるかを調べ、その夜に空を見上げてみる
  • □ 家の中で、夜空が見える窓やバルコニーがあるか確かめてみる
  • □ 1年のうちに家で行う行事を書き出し、それぞれの飾りをどこに出し、どこにしまっているか確かめてみる

七夕と旧暦のよくある質問(FAQ)

Q. 七夕は、なぜ梅雨の時期にあるのですか?

明治の改暦で太陽暦に切り替わったとき、旧暦の7月7日の行事を、そのまま新暦の7月7日に移したためです。旧暦の7月7日は、今の暦ではおよそ7月下旬から8月下旬ごろにあたります。

Q. 七夕の起源は何ですか?

中国から伝わった牽牛と織女の伝説と、技芸の上達を祈る乞巧奠という行事が、日本古来の棚機女の信仰と重なってできたとされます。

Q. 七夕とお盆には、関係があるのですか?

7月7日は「七日盆」とも呼ばれ、墓の掃除や先祖を迎える準備を始める日でもありました。七夕は、お盆の準備の始まりでもあったのです。

Q. 仙台の七夕まつりが8月なのはなぜですか?

旧暦の季節に近づけるため、新暦の日付を一か月遅らせた「月遅れ」の8月7日を中心に行っているためです。東北地方などでは、こうした月遅れの七夕が多く見られます。

Q. 明治の改暦はなぜ行われたのですか?

旧暦の明治6年が閏月を含む13か月の年だったため、月給制を始めていた政府が一か月分の支出を避けようとした、という大隈重信の回顧談が伝えられています。

まとめ|行事の日付は動いても、季節は家に届く

  • 七夕は、星の伝説、技芸の祈り、身を清める行事、お盆の準備が重なった行事だった
  • 明治の改暦で、旧暦の日付をそのまま新暦に移したため、七夕は梅雨の最中になった
  • 東北などでは、今も月遅れの8月に七夕を行い、季節とのつながりを保っている
  • 家は、空を見上げる場所と、飾りを出し入れする場所で、季節の行事を受け止められる

この連載では、玄関から七夕まで、16の場面で住まいの中の日本文化を読み直してきました。伝統は、昔から変わらずに続いてきたものではなく、時代ごとに形を変えながら、家の中に受け止められてきたものでした。あなたの家は、これからどんな季節を、どんなふうに受け止めていくでしょうか。

参考文献

  • 鎌田久子「七夕」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、萩原龍夫ほか「七夕」『世界大百科事典』平凡社ほか。七夕の起源、宮廷行事と庶民への広がり、七日盆、水にかかわる習俗、月遅れの開催に用いました。コトバンクで読む
  • 内田正男「改暦」『世界大百科事典』平凡社、『百科事典マイペディア』ほか。明治の改暦の日付と経緯、大隈重信の回顧談に用いました。コトバンクで読む
  • 「五節供」『精選版 日本国語大辞典』『日本大百科全書』ほか。五節供としての七夕に用いました(第15話参照)。コトバンクで読む

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この記事を書いた人|メガネ建築士(一級建築士・ハウスメーカー設計士/150棟以上の住宅設計)
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