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ひな人形と五月人形は、なぜ家に飾るのか|節供の歴史と、子どもの成長を祝う場所

建築
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連載|住まいから読む日本文化 第15話

玄関、障子、床の間、年中行事。見慣れた住まいの中にある日本文化を、古典と研究を手がかりに読み直す連載です。伝統をただ礼賛するのではなく、「なぜそうなっているのか」と「それは今も正しいのか」を、一級建築士の目で考えます。

SHEET — ひな人形と五月人形S = 1:第15話 季節をしつらえる / kobayan

結論:ひな人形はけがれを移して流す人形から、五月人形は屋外に立てた飾り冑から生まれ、どちらも江戸時代に「家の中に飾る」形になりました。

  • 節供は、もとは節日に神に供え物をすること。五節供は江戸幕府が式日と定め、明治6年(1873年)に制度としては廃止された
  • ひな祭りの源流は、上巳の日にけがれを人形に移して流す祓い。雛祭の形が定まるのは寛文年間(1661〜73年)以降
  • 五月人形は、屋外に並べた飾り冑から人形が独立し、江戸後期に奥座敷に飾る形へ移った
  • ひな祭りが一般の家に広まったのは明治以降。商店の売り出しが普及を後押しした

2月の終わり、押入れから大きな箱を出し、ひな人形を一つずつ並べる。5月が近づくと、今度は兜を飾る。子どもが生まれた家では、毎年の大仕事です。そして、マンションや小さな家では「飾る場所がない」という悩みもよく聞きます。

ひな人形と五月人形は、なぜ家の中に飾るのでしょうか。その歴史をたどると、どちらも最初から「家の中に飾るもの」ではなかったことがわかります。

節供とは何か

ひな祭りも端午も、「節供(せっく)」の一つです。節供は、もとは季節の節目の日に神々や祖先に供える供え物を指す言葉で、のちに供え物をする節日そのものを指すようになりました。今は「節句」と書くことが多いですが、近世の初めごろから「節句」とも書かれるようになったとされます。

人日(1月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)の五つを五節供と呼びます。江戸幕府はこれを式日(公式の行事の日)と定め、行事は民間にも広まりました。五節供は明治6年(1873年)に制度としては廃止されましたが、上巳、端午、七夕の行事は、今も民間で盛んに続いています。

ひな人形|流す人形から、飾る人形へ

ひな祭りの起源は、上巳の日に、けがれや災いを人形(ひとがた)に移して流す風習にあるとされます。竹内利美は『日本大百科全書』で、『源氏物語』須磨の巻に、上巳の日に陰陽師が祓いを行い、人形を船に乗せて流した場面があることを、ひな祭りの源流を知る手がかりとして挙げています。

竹内によれば、宮廷や幕府でひな人形の行事が記録に現れるのは1630年ごろで、ひな祭りの形が定まるのは寛文年間(1661〜73年)以降と見られます。はじめは平らな壇に立ち雛を並べる簡素なものでしたが、精巧な衣装人形が生まれると華やかになり、重ねた壇に内裏雛、官女、五人囃子などを並べる形が固まっていきました。

そして、ひな祭りが一般の家に広く行われるようになるのは明治以降で、商店のひな人形の売り出しが普及を後押ししたとされています。

今も、鳥取市の周辺では紙の雛を川に流す「流し雛」が行われ、関東の村々には古い雛を川へ流す風習がありました。人形にけがれを移して流すという、ひな祭りのもとの姿は、地域の行事の中に残っています。

五月人形|屋外の飾りから、座敷の飾りへ

端午の節供の飾りも、もとは家の中ではなく外にありました。斎藤良輔は『日本大百科全書』で、五月人形の歴史を次のように説明しています。

端午に使う菖蒲は「尚武(武を尊ぶこと)」に通じ、菖蒲でつくった鬘(かつら)が、近世の菖蒲冑に変わっていきました。江戸時代の初めには、模造の飾り冑を幟(のぼり)などとともに屋外に並べていました。元禄年間(1688〜1704年)ごろには、冑の前に立てていた人形が独立して「甲人形」と呼ばれるようになります。そして江戸時代の後期には、赤い毛氈を敷いた奥座敷に人形や武具を並べる形へと移り、飾りの中心が人形になっていきました。

明治以降は人形が小さくなり、昭和の初めごろからは鎧飾りが中心になったとされます。関西では応神天皇の人形、名古屋のあたりでは大将人形が好まれるなど、地域による好みの違いもありました。

そのまま信じなくていい|節供の読み方

「昔から、どの家でも飾ってきた」わけではない

ひな人形の行事の形が定まったのは17世紀後半で、一般の家に広まったのは明治以降とされます。豪華な段飾りは、江戸時代には限られた家のものでした。今の私たちがイメージするひな祭りは、近代に商業の後押しを受けて広まった姿でもあります。

飾りの形に、決まった正解はない

段飾りの並べ方や、飾る日、しまう日について、さまざまな決まりが紹介されます。けれど歴史を見ると、ひな人形は流すものから飾るものへ、五月人形は屋外から座敷へと、形を変え続けてきました。地域によっても大きく違います。今の家に合った形で祝うことは、伝統から外れることではないと思います。

建築士として読む|子どもの成長を祝う場所

ひな人形も五月人形も、江戸時代後期には座敷や奥座敷に飾られました。座敷が姿を消した今の家では(第10話)、飾る場所を別に考える必要があります。

飾る大きさから、場所を決める

段飾りのひな人形は、幅も奥行きも大きく、置ける場所は限られます。人形を選ぶ前に、家の中で飾れる場所の幅・奥行き・高さを測っておくと、買ってから置き場所に困ることがありません。

季節ごとに入れ替える、一つの場所

正月の鏡餅、3月のひな人形、5月の五月人形。季節の飾りは、少しずつ時期がずれて現れます。第4話で書いた「空けておく場所」を一つ用意しておけば、同じ場所が季節ごとに入れ替わり、どの行事も続けやすくなります。

しまう場所が、飾り続けられるかを決める

節供の人形が出されなくなる理由の多くは、出し入れの手間です。箱のまま入る収納を、飾る場所の近く、できれば同じ階に用意しておくことをおすすめします。押入れの上の段や天井の近くに入れると、出すのがおっくうになりがちです。

👓 建築士のメモ

ひな人形や五月人形は、祖父母から贈られることも多く、大きさを事前に相談できないこともあります。打ち合わせでは「人形はありますか、いただく予定はありますか」と聞き、飾る場所とその近くの収納を、間取りの段階で確保しておくようにしています。五月人形の具体的な置き方は五月人形はリビングに置いていいのかで書いています。

資料で確かめられること・言い切れないこと

◎ 確かめられること
  • 節供は、もとは節日に神々や祖先に供える供え物を指した
  • 五節供は江戸幕府が式日と定め、明治6年(1873年)に制度としては廃止された
  • ひな祭りの形が定まったのは寛文年間(1661〜73年)以降と見られ、一般に広まったのは明治以降
  • 五月人形は、屋外の飾り冑から人形が独立し、江戸後期に奥座敷に飾る形へ移った
  • 鳥取市周辺の流し雛など、人形を流す風習が今も残っている
○ 言い切れないこと
  • ひな祭りや端午の飾りが、昔からどの家でも行われていたということ
  • 飾る日や並べ方に、地域を問わない一つの正解があるということ
  • 節供の起源が、日本の中だけで生まれたということ(五節供は中国から伝わった考え方に基づく)

暮らしの中で試してみたい3つのこと

  • □ 家にあるひな人形や五月人形が、いつ、だれから贈られたものかを聞いてみる
  • □ 人形の箱の大きさと、飾れる場所の幅・奥行きを測ってみる
  • □ 正月・3月・5月の飾りを、同じ一つの場所で入れ替えられるか考えてみる

ひな人形と五月人形のよくある質問(FAQ)

Q. ひな祭りの起源は何ですか?

上巳の日に、けがれや災いを人形に移して流す風習が起源とされます。『源氏物語』にも、上巳の日に祓いを行い、人形を船に乗せて流した場面があります。

Q. ひな人形を飾るようになったのはいつからですか?

宮廷や幕府でひな人形の行事が記録に現れるのは1630年ごろで、ひな祭りの形が定まったのは寛文年間(1661〜73年)以降と見られます。一般の家に広まったのは明治以降です。

Q. 五月人形は、もともと家の中に飾るものだったのですか?

江戸時代の初めは、飾り冑を幟などとともに屋外に並べていました。人形が独立して家の中、特に奥座敷に飾るようになったのは江戸時代後期とされます。

Q. 「節句」と「節供」は、どちらが正しいのですか?

もとは節日に供える供え物を指す「節供」と書きました。近世の初めごろから「節句」とも書かれるようになり、今はどちらも使われています。

Q. 飾る場所がない家では、どうすればよいですか?

人形の大きさに合わせて、季節ごとに入れ替える飾り場所を一つ決め、近くに箱ごとしまえる収納を用意するのがおすすめです。コンパクトな飾りを選ぶ方法もあります。

まとめ|流す人形から、家の中で成長を祝う飾りへ

  • 節供は、もとは節日の供え物。五節供は江戸時代に式日となり、明治6年に制度としては廃止された
  • ひな人形は、けがれを移して流す人形から、段に飾る人形へと変わった
  • 五月人形は、屋外の飾り冑から、奥座敷に飾る人形へと変わった
  • 今の家では、飾る場所の大きさと、近くの収納を間取りの段階で考えておく

ひな人形も五月人形も、外から内へ、流すものから飾るものへと、形を変えながら続いてきました。あなたの家では、子どもの成長を、どの場所で祝うでしょうか。

参考文献

  • 「節供」『ブリタニカ国際大百科事典』、井之口章次「節供」『日本大百科全書(ニッポニカ)』、田中宣一「節供」『世界大百科事典』ほか。節供の原義と表記、江戸幕府の式日に用いました。コトバンクで読む
  • 「五節供」『精選版 日本国語大辞典』『日本大百科全書』ほか。五節供の内容と明治6年の廃止に用いました。コトバンクで読む
  • 竹内利美「雛祭」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館ほか。ひな祭りの起源、江戸時代の定着、明治以降の普及、流し雛に用いました。コトバンクで読む
  • 斎藤良輔「五月人形」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館。五月人形の成り立ちと変化、地域差に用いました。コトバンクで読む

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この記事を書いた人|メガネ建築士(一級建築士・ハウスメーカー設計士/150棟以上の住宅設計)
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