玄関、障子、床の間、年中行事。見慣れた住まいの中にある日本文化を、古典と研究を手がかりに読み直す連載です。伝統をただ礼賛するのではなく、「なぜそうなっているのか」と「それは今も正しいのか」を、一級建築士の目で考えます。
結論:仏壇と神棚は、古代から各家にあったのではなく、江戸時代に「家」の仕組みとともに広まった祈りの場所です。
- 『日本書紀』(685年)に家ごとに仏舎を作れという記事があるが、一般の家に仏壇が広まるのは元禄(17世紀末)以降とされる
- 仏壇の普及は、寺檀制度の成立と、庶民の「家」の確立による先祖をまつる意識の高まりと結びついていた
- 神棚の一般化は、17世紀後半に伊勢の御師が神符を各戸に配ったことが大きく、江戸時代中期ごろとされる
- 形や祀り方は宗派や地域で違う。「正しい置き方」は、家ごとに菩提寺や神社に確かめる
家を建てる打ち合わせで、意外と答えが出にくいのが「仏壇と神棚をどこに置くか」です。実家から仏壇を引き継ぐ予定がある。神棚のお札を、今はタンスの上に置いている。置き場所を決めないまま図面が進み、引っ越してから困る、ということも少なくありません。
そもそも、仏壇や神棚は、いつから日本の家にあるのでしょうか。歴史をたどると、多くの人が思っているより新しいことがわかります。
仏壇|持仏堂から、各家の仏壇へ
宗教学者の藤井正雄は『日本大百科全書』で、仏壇についての最も古い記述として、『日本書紀』の685年の記事を挙げています。諸国の家ごとに仏舎を作り、仏像と経を置いて礼拝せよ、という天武天皇の詔です。
ただ、これをもって古代から各家に仏壇があったと考えるのは早計です。民俗学者の赤田光男は『世界大百科事典』で、中世には裕福な家が持仏堂や仏間を設け、武家はその中に家の仏像を納めた厨子を置いたと説明しています。今の仏壇のもとになった厨子型の仏壇は、古代の寺院を小さく写したものだと言います。
そして赤田は、一般の家に仏壇が見られるようになるのは、元禄時代(17世紀末)以降だとしています。その背景にあったのが、寺と檀家を結びつける寺檀制度の成立と、庶民の間で「家」が確立し、先祖をまつる意識が高まったことでした。仏壇には位牌が置かれ、お盆やお彼岸、年忌には菩提寺の僧が家に来て法要を営みました。
赤田は、民間の習俗もまた仏壇の広まりに関わったと書いています。お盆に一時的に設ける精霊棚が、常設の仏壇の前身の一つだというのです。お盆の棚については第13話で詳しく見ます。
神棚|伊勢の御師が配ったお札
神棚の歴史は、さらに新しいかもしれません。『世界大百科事典』は、住宅に神棚が設けられるようになった歴史はあまり長くないと考えられる、と書いています。
全国に広まった時期ははっきりしませんが、17世紀後半に、伊勢神宮の御師(おんし)と呼ばれる人々が各家に神符(お札)を配って回ったことが、神棚の普及につながったとされ、一般化は江戸時代中期ごろではないかと考えられています。『日本大百科全書』で萩原龍夫も、御師による神符の配布が民家への普及と深く関係すると述べています。
神棚の中心には伊勢神宮の大麻(神宮大麻)を置き、氏神や、それぞれが信仰する神のお札を加えることが多いとされます。また『世界大百科事典』は、神棚を三つに分けています。
- 表の間に設けるもの:座敷など、客を迎える部屋に設ける神棚
- 台所や寝所に設けるもの:かまどの神、水の神、厠の神など、暮らしの場の神をまつる棚
- 特定の時期だけ設けるもの:正月の年神を迎える棚や、お盆の棚
神棚は一つの棚ではなく、家のあちこちに、場所の役割に応じた神がまつられていたことがわかります。
そのまま信じなくていい|仏壇と神棚の読み方
「昔から、どの家にも仏壇と神棚があった」わけではない
仏壇が一般の家に広まったのは17世紀末以降、神棚は江戸時代中期ごろとされます。どちらも、寺檀制度や伊勢参りの広まりといった、江戸時代の社会の仕組みと深く結びついていました。日本の家の「古来の伝統」というより、近世に形づくられた習慣と考える方が正確です。
「正しい置き方」は一つではない
仏壇は南向き、神棚は目線より高く、といった置き方の決まりがよく紹介されます。けれど藤井が書いているように、仏壇の形式は宗旨によって違い、神棚のまつり方も地域によってさまざまです。一般的な説明を「正解」として受け取るより、菩提寺や氏神の神社に、その家の宗旨と地域の慣習を確かめるのがいちばん確実です。
祀らない、という選択もある
信仰は人それぞれです。仏壇や神棚を置かない家があっても、それは何かが欠けているということではありません。設計の上でも、置くかどうかは施主が決めることだと考えています。
建築士として読む|祈りの場所を、暮らしの中に置く
仏壇や神棚を置くと決めたら、設計では「意味」と「日常」の両方から場所を考えます。
毎日、手を合わせられる場所か
仏壇は、立派な部屋の奥にしまい込むより、毎日の動線の近くにある方が、手を合わせる習慣が続きます。リビングの一角、和室の入口近くなど、通りがかりに目に入る場所を候補にします。
前に座れる、立てる広さがあるか
仏壇は扉を開け、前に座って手を合わせ、法事のときには僧侶が前に座ります。仏壇の幅だけでなく、その前にどれだけの空間が要るかを考えておく必要があります。
壁の下地と、湿気・日差し
神棚を壁や鴨居の上に取り付けるなら、棚を支える下地を設計の段階で入れておきます。仏壇は木でできた家具でもあるので、直射日光や湿気の多い場所は避けた方が長持ちします。実家から引き継ぐ予定がある場合は、大きさを先に測っておくと、置き場所で困りません。
「仏壇は今はないけれど、いずれ実家から引き継ぐかもしれない」という声は、打ち合わせでよく聞きます。その場合は、収納や飾り棚として使える奥行きのある場所を一か所用意し、将来そこに仏壇を置ける広さと下地にしておくことをおすすめしています。床の間と同じく、「空けておく場所」の考え方です(第4話)。
資料で確かめられること・言い切れないこと
- 『日本書紀』の685年の記事に、家ごとに仏舎を作れという詔がある
- 一般の家に仏壇が見られるようになるのは元禄時代(17世紀末)以降とされる
- 仏壇の普及は、寺檀制度の成立と、庶民の家の確立による先祖祭祀の高まりと結びついていた
- 神棚の普及には、17世紀後半の伊勢の御師による神符の配布が関係したとされる
- 神棚には、表の間・暮らしの場・特定の時期の三つの種類がある
- 古代から、各家に仏壇があったということ
- 仏壇や神棚の置き方に、宗派や地域を問わない一つの正解があるということ
- 仏壇や神棚を置かない家は、伝統を失っているということ
暮らしの中で試してみたい3つのこと
- □ 実家の仏壇や神棚が、いつ、だれによって置かれたのかを聞いてみる
- □ 自分の家の宗旨と菩提寺、氏神の神社を確かめてみる
- □ 今の家で、毎日自然に目に入る場所はどこかを考えてみる
仏壇と神棚のよくある質問(FAQ)
Q. 仏壇はいつごろから家に置かれるようになったのですか?
『日本書紀』に685年の詔として家ごとに仏舎を作れという記事がありますが、一般の家に仏壇が広まるのは元禄時代(17世紀末)以降とされます。寺檀制度の成立や、先祖をまつる意識の高まりが背景にありました。
Q. 神棚はいつごろから広まったのですか?
17世紀後半に伊勢神宮の御師が各家に神符を配ったことが普及のきっかけとされ、一般化は江戸時代中期ごろと考えられています。
Q. 仏壇の向きや置き方に決まりはありますか?
よく紹介される決まりはありますが、仏壇の形式や祀り方は宗派によって異なります。菩提寺に、その家の宗旨に合った置き方を確かめるのが確実です。
Q. 仏壇と神棚を同じ部屋に置いてもよいですか?
同じ部屋に置く家は多くありますが、向かい合わせにしない、上下に重ねないなど、地域や宗派によって考え方があります。迷う場合は菩提寺や神社に相談してください。
Q. 新築で、将来仏壇を置く予定がある場合は?
実家の仏壇の大きさを測り、扉を開けて前に座れる広さを含めて場所を確保しておくと安心です。当面は収納や飾り棚として使える場所にしておく方法もあります。
まとめ|祈りの場所は、家の仕組みとともに広まった
- 仏壇が一般の家に広まったのは17世紀末以降、寺檀制度と「家」の確立が背景にあった
- 神棚は、伊勢の御師が配った神符をきっかけに、江戸時代中期ごろに一般化したとされる
- 形や祀り方は宗派や地域で違い、一つの正解はない
- 設計では、毎日手を合わせられる場所、前に座れる広さ、下地と湿気を考える
仏壇や神棚は、家族が「家」としてまとまり、先祖や神とつながる仕組みとともに広まりました。家族の形が変わった今、あなたの家にとって祈りの場所は、どんな意味を持っているでしょうか。
参考文献
- 赤田光男「仏壇」『世界大百科事典』平凡社、藤井正雄「仏壇」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館。仏壇の起源と普及、寺檀制度との関係、宗旨による違いに用いました。コトバンクで読む
- 宇野正人・鈴木充「神棚」『世界大百科事典』平凡社、萩原龍夫「神棚」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館。神棚の普及と伊勢の御師、祀るもの、三つの種類に用いました。コトバンクで読む
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連載第12話。家を建てる前に、なぜ土地に祈るのか。地鎮祭と上棟式の歴史です。

連載第4話。床の間はなぜ空けてあったのか。「空けておく場所」の考え方です。

連載第10話。家の一等地にあった客間と座敷の歴史です。



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