玄関、障子、床の間、年中行事。見慣れた住まいの中にある日本文化を、古典と研究を手がかりに読み直す連載です。伝統をただ礼賛するのではなく、「なぜそうなっているのか」と「それは今も正しいのか」を、一級建築士の目で考えます。
結論:廊下は、日本の家の古くからの伝統ではありません。江戸時代の農家や町家には、廊下はほとんどなかったのです。
- 中世まで、建物の中の廊下は少なく、建物どうしを結ぶ「廊」が中心だった
- 江戸時代に廊下が発達したのは将軍や大名の邸宅で、農家・町家・中下級武士の家にはほとんど見られない
- 明治から大正にかけて、客や使用人が家族の部屋を通らずに済むよう、家の中央に廊下を通す中廊下型住宅が都市に広まった
- 廊下の歴史は、家の中で「誰と誰を出会わせないか」の歴史でもある
間取りの打ち合わせでは、廊下はたいてい削られる側に回ります。「廊下は無駄な面積だから、なるべく減らしたい」。その一方で、廊下のない家に住んでみて、「どこにいても家族の気配がして落ち着かない」と感じる人もいます。
廊下は、無駄なのでしょうか、それとも必要なのでしょうか。その答えを考える前に、廊下がいつ、なぜ日本の家に現れたのかをたどってみると、意外な事実が見えてきます。
昔の家に、廊下はなかった
建築史家の大河直躬は『世界大百科事典』の「廊下」の項で、中世までは建物の中の廊下は少なく、建物どうしをつなぐ「廊」が一般的だったと説明しています。平安時代の貴族の住まい、寝殿造では、寝殿や対屋(たいのや)を結ぶ廊が多く、「渡殿(わたどの)」とも呼ばれました。
桃山時代から江戸時代にかけて、将軍や大名の邸宅では廊下が大きく発達しました。客座敷のまわりを囲む畳敷きの廊下や、両側に部屋を並べた廊下です。
ところが大河は、江戸時代の農家、町家、中・下級武士の住まいには、廊下はほとんど見られなかったと書いています。部屋から部屋へは、部屋を通り抜けて移動するのが普通でした。幕末になって、ようやく縁側が便所や風呂場への通り道として、廊下に近い役割を持つようになります。
つまり、多くの人にとって、廊下は「昔からあったもの」ではありませんでした。
中廊下型住宅の誕生|誰と誰を出会わせないか
廊下が一般の住まいに入ってくるのは、明治以降です。大河によれば、明治期の都市の中規模の住宅では、客が家族の暮らす部屋を通らずに済むように、また使用人が家族の部屋を通り抜けずに便所へ行けるように、廊下の配置が工夫されるようになりました。
やがて、家の中央に東西に廊下を通し、南側に家族の部屋や座敷を、北側に台所や使用人の部屋、便所などを並べ、玄関の脇に洋風の応接間を置く間取りが、大正時代から第二次世界大戦までの都市の住宅に多く見られるようになります。これが「中廊下型住宅」です。
この間取りの目的は、はっきりしています。客を迎える空間は大切にしながら、家族の部屋の日当たりとプライバシーを守ること。そして、客や使用人が、家族の生活に不用意に入り込まないようにすることです。
大正5年(1916年)、建築家の伊東忠太は雑誌『婦人之友』に「中流の住宅は如何に設計すべきか」という文章を寄せ、各部屋の秘密を保てることを、住宅の条件の一つに挙げました。着替えなどのために、ほかから見透かされない場所が必要だという考えです(杉並区の公開資料による)。また大正9年(1920年)には、生活改善同盟会が住宅改善の方針の中で「家族本位」を掲げています。
廊下は、家族を一つの単位として守り、その中の個人の居場所をつくるための装置として、日本の家に入ってきたのです。
戦後、そして今
戦後になると、住まいの考え方はもう一度大きく変わります。建築学者の西山夘三が1942年の論文で唱えた「食寝分離」、つまり食事をする部屋と寝る部屋を分けるという考え方は、戦後に広まったダイニングキッチン(DK)や、2DK・3DKといった間取りの理論的な裏づけになりました。
そして今、間取りの議論は、廊下を減らしてリビングを広くとるか、子どもがリビングを通って自分の部屋へ行く間取りにするか、といったところにあります。家族が顔を合わせる機会を増やしたいという願いと、一人になれる場所を守りたいという願い。中廊下型住宅が生まれたときと同じ問いが、形を変えて続いています。
そのまま信じなくていい|廊下の読み方
「廊下は日本独自の空間」ではない
廊下を日本の住まいの伝統として語る文章を見かけますが、多くの家にとって廊下は近代に入ってきたものでした。むしろ、部屋を通り抜けて暮らすつくりの方が、長い伝統だったと言えます。
廊下は、人を「見えなくする」装置でもあった
中廊下型住宅は家族のプライバシーを守りましたが、同時に、使用人の部屋を北側に置き、家族の目に触れない動線をつくる間取りでもありました。廊下の歴史には、家の中の身分の序列も刻まれています。
建築士として読む|廊下の役割を三つに分ける
廊下が必要かどうかは、廊下の役割を分けて考えると判断しやすくなります。
通る|動線としての役割
部屋から部屋へ移動するための役割です。この役割だけなら、廊下はできるだけ短い方がよく、リビングを通り抜ける間取りでも代わりがききます。
隔てる|音・視線・気配を分ける役割
寝室とリビング、トイレとダイニングのあいだに廊下を一本はさむと、音や視線がやわらぎます。中廊下型住宅が守ろうとしたのは、まさにこの役割でした。廊下を減らすなら、収納を間にはさむ、扉の位置をずらすなど、隔てる役割を別の方法で補う必要があります。
溜める|余白としての役割
少し幅を広げた廊下に、本棚や飾り棚を置く。窓を一つ設けて、立ち止まって外を眺められるようにする。通るだけの廊下に「溜まる」役割を持たせると、面積の無駄ではなく、家の中の小さな居場所になります。
「廊下を減らしたい」という要望は、多くの場合「リビングを広くしたい」という要望の裏返しです。けれど、廊下を減らした分だけ、どこかで音や視線を隔てる工夫が必要になります。打ち合わせでは、廊下を削る前に「どの部屋とどの部屋を、離しておきたいか」を確かめるようにしています。家族の距離の取り方は「ただいま」と「おかえり」が交わる距離でも書いています。
資料で確かめられること・言い切れないこと
- 中世まで、建物の中の廊下は少なく、建物どうしを結ぶ廊が一般的だった
- 江戸時代の農家・町家・中下級武士の住まいには、廊下はほとんど見られなかった
- 明治から大正にかけて、客や使用人が家族の部屋を通らずに済むよう廊下が工夫され、中廊下型住宅が都市に広まった
- 1916年に伊東忠太が各部屋の秘密を保てることを住宅の条件に挙げ、1920年に生活改善同盟会が「家族本位」を掲げた
- 西山夘三の「食寝分離」が、戦後のDK・nDKの間取りの裏づけになった
- 廊下が、日本の住まいに古くからある伝統だということ
- 中廊下型住宅が、すべての階層の住まいに広まったということ(主に都市の中流の住宅)
- 廊下は無駄、または廊下は必要と、一律に言えるということ
暮らしの中で試してみたい3つのこと
- □ 家の中で、部屋を通り抜けないと行けない部屋がいくつあるか数えてみる
- □ 家族のだれかが一人になりたいとき、どこへ行っているかを観察してみる
- □ 今の廊下に、「通る」「隔てる」「溜める」のどの役割があるかを確かめてみる
廊下と中廊下型住宅のよくある質問(FAQ)
Q. 中廊下型住宅とは、どんな家ですか?
家の中央に廊下を通し、南側に家族の部屋や座敷、北側に台所や使用人の部屋、便所などを並べ、玄関の脇に洋風の応接間を置いた住宅です。大正時代から第二次世界大戦までの都市の中流の住宅に多く見られました。
Q. 昔の日本の家には、廊下はなかったのですか?
将軍や大名の邸宅には廊下が発達していましたが、江戸時代の農家、町家、中・下級武士の住まいには、廊下はほとんど見られなかったとされます。部屋を通り抜けて移動するのが普通でした。
Q. なぜ中廊下型住宅が生まれたのですか?
客を迎える空間を大切にしながら、家族の部屋の日当たりとプライバシーを守り、客や使用人が家族の生活に入り込まないようにするためでした。
Q. 廊下は、減らした方がよいのですか?
廊下には、通る・隔てる・溜めるの三つの役割があります。通るだけの廊下なら減らしてもよいですが、音や視線を隔てる役割まで失うと、落ち着かない家になることがあります。
Q. 廊下を有効に使う方法はありますか?
少し幅を広げて本棚や飾り棚を置いたり、窓を設けて立ち止まれる場所にしたりすると、通るだけの廊下が家の中の小さな居場所になります。
まとめ|廊下は、家族の形の変化を映してきた
- 廊下は、多くの人にとって近代になってから家に入ってきたものだった
- 中廊下型住宅は、客・使用人・家族の動線を分け、家族のプライバシーを守るために生まれた
- 戦後は食寝分離からDK・nDKへと、家族の暮らし方とともに間取りが変わった
- 今の家では、廊下の役割を「通る・隔てる・溜める」に分けて考える
廊下を一本引くかどうかは、家族のだれとだれを、どのくらい近づけ、どのくらい離すかを決めることです。あなたの家の廊下は、何をつなぎ、何を隔てているでしょうか。
参考文献
- 大河直躬「廊下」『世界大百科事典』平凡社。中世までの廊、江戸時代の邸宅と民家の違い、明治以降の廊下の工夫と中廊下型住宅に用いました。コトバンクで読む
- 「中廊下型住宅」『家とインテリアの用語がわかる辞典』講談社。中廊下型住宅の間取りと背景に用いました。コトバンクで読む
- 杉並区公開資料(PDF)。伊東忠太「中流の住宅は如何に設計すべきか」(『婦人之友』1916年8月号)と、青木正夫・岡俊江・鈴木義弘『中廊下の住宅』(住まいの図書出版局、2009年)への言及に用いました。資料を見る
- 竹中工務店 伝統建築グループ 山野敬史「暮らしの変化と入澤家」(講演資料、2020年、杉並区公開)。生活改善同盟会の住宅改善の方針(1920年)に用いました。資料を見る
- 髙田光雄「食寝分離」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館。西山夘三の食寝分離論とDK・nDKへの展開に用いました。コトバンクで読む
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